テディベアの歴史!名前の由来はアメリカのルーズベルト大統領だった!
現在、世界中の子どもたちや大人に愛されているくまのぬいぐるみ「テディベア」。
テディベアのふわふわした独特の感触やその愛くるしい顔立ちはいつの時代も人々の心を癒してきました。
テディベアは100年以上にわたって世界中の人たちから愛され続けているマスコットキャラクターですが、その誕生には意外なほどの深い歴史と興味深いエピソードが存在しています。
今回は、「テディベアの歴史!名前の由来はアメリカのルーズベルト大統領だった!」というお話をさせていただきます。
アメリカで誕生したテディベア
くまのぬいぐるみで知られるマスコットキャラクターのテディベアは今から100年以上前、1902年のアメリカで誕生しました。
当時、アメリカ合衆国は南部のミシシッピー州において州同士の争いが勃発。
その争いを食い止めるため、第26代大統領のセオドア・ルーズベルトが現地に到着します。
ミシシッピー州と州同士の争いはなかなか止める事が出来ず、行き詰っていたルーズベルト大統領は気分転換にクマ狩りに出かけました。
アメリカはグリズリーを始めとした大型のクマがたくさん生息している国の為、当時クマやその他の動物を狩るハンティングはスポーツとして親しまれていたのです。
意気揚々とミシシッピーの原野に繰り出しクマ狩りを始めたルーズベルト大統領でしたが、予想に反してクマは一向に出没せず、ついにルーズベルト大統領はお目当てのクマを一頭もしとめる事が出来ずに宿に帰る事となりました。
大統領の側近たちは、「アメリカ合衆国の大統領がクマ狩りすら出来ない」という噂が立っては大変と考え、あらかじめ生け捕りにしておいた生きた子グマをルーズベルト大統領の前に差し出して、「大統領、このクマを撃ってしとめてください」と言いました。
すると大統領は、「私がハンティングをするのは大型の大人のクマだけだ。生け捕りにした子グマを撃つなどという行為は、スポーツマンシップに反する。」と猛反対してそのかわいそうな子グマをミシシッピー州の原野に返してあげたのです。
この、心温まるエピソードを聞いた新聞社が自社の新聞に漫画としてルーズベルト大統領が子グマを逃がしてあげたお話を掲載しました。
「ルーズベルト大統領が子グマを逃がしてあげた美談」の漫画は全米でも多くの人が目にする事になり、その中の一人がニューヨーク州のブルックリンでお菓子屋を経営していたモリス・ミットムでした。
ミットムはルーズベルト大統領が放してあげた子グマをモチーフにしてクマのぬいぐるみを作成。
そのクマのぬいぐるみに「テディ」というルーズベルト大統領のあだ名をつけて、『テディベア』と名づけたのです。
これが、後に世界中の人気マスコットキャラクターになるテディベア誕生の瞬間でした。
テディベアは大統領公認のぬいぐるみ
大統領の心温まるエピソードをヒントにかわいらしいクマのぬいぐるみを作り出したミットムは、「大統領の名前をつけたぬいぐるみを勝手に販売してはいけない」と考え、許可をもらう為ルーズベルト大統領に手紙を書く事にしました。
ルーズベルト大統領はミットムのアイディアに感心し、快く「テディ」の名前をミットムが作り出したクマのぬいぐるみの名前として使う事を承諾しました。
これにより、ミットムが後に会社を興して大成功を収める事になる「テディベア」のぬいぐるみは名実ともに「ルーズベルト大統領本人が公認したぬいぐるみ」として知られるようになります。
ルーズベルト大統領本人もテディベアを気に入っていました
自分自身のニックネームがつけられたテディベアをルーズベルト大統領はとても気に入っていました。
テディベアの生みの親であるミットムが興した会社がテディベアのぬいぐるみを販売すると、自身が執務を執り行うホワイトハウスにテディベアを送るように要請。
ホワイトハウスに届けられたテディベアにはハンターの洋服を着せたり漁師のかっこうをさせるなどしてお気に入りの様子だったそうです。
ドイツのテディベアの歴史について
アメリカのニューヨークで産声をあげたテディベアですが、実は同じ1902年にアメリカから遠く離れたドイツでもテディベアが誕生していました。
驚くべき事に、ドイツでは当時、アメリカでモリス・ミットムが製作したテディベアとそっくりのぬいぐるみを独自に製作していたのです。
1902年、ドイツのおもちゃ会社で働いていたリヒャルトという男性が一体のクマのぬいぐるみを製作します。
これが、「ドイツで誕生したテディベア」の元祖となりました。
ドイツのおもちゃ会社で誕生したもう一つのテディベアは、現在世界中の人たちから「テディベア」として愛され、今でも年間45万体以上のテディベアがドイツのおもちゃ会社から販売されています。
アメリカとドイツ、国の違いはあれど愛くるしい「二つのテディベア」がそれぞれの国でまったく同じ年に誕生したというエピソードは、テディベアファンにとっては良く知られた事実でもあります。